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zoom RSS もう牛を食べても安全か

<<   作成日時 : 2005/03/05 10:34   >>

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もう牛を食べても安全か 
福岡伸一
文春新書

p14 生体を構成している分子はすべて高速に分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。時計仕掛けの部品そのものが更新され続けていくのである。だから私たちの身体は分子的な実体としては数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。環境は私たちの身体を常に通り抜けているのである。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ辛うじて一定の状態を保っている。これは脳細胞といえども例外ではない。その意味で私たちのアイデンティティや記憶の実在性とは、自分自身が信じているほど確実なものではない。
 これを彼は“動的平衡”と呼んだ。(ルドルフ・シェーンハイマー)

p61 肉体というものについて、感覚としては、外界と隔てられた個物としての実体があるように私たちは感じているが、分子のレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている、分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ換わっている。この回転自体が「生きている」ということであり、常にタンパク質を外部から与えないと、出ていくタンパク質との収支が合わなくなる。それがタンパク質を食べ続けなければならない理由なのである。

p99 消化とは、食べ物を吸収しやすくするために細かくする、というような機械的な作用よりも、もとの生物がもっていたタンパク質の情報をいったん解体して、自分の体内で自分に適合した形で情報を再構成するための出発点を作る、という重要な意味をもっているわけである。これが消化の生物学的意義である。

p121 肉骨粉を与えるという食物連鎖の人為的な組み換え操作を行ったということだけでなく、出生後間もない、生命が最も侵襲を受けやすいバルネラブルな時期に、これまた経済的要請に基づく安易な人為的操作として肉骨粉入りスターターを母乳代わりに与えた、という二重の操作の果てに、イギリスの狂牛病は立ち上がってきたのである。

p144 『生み出された物語 目撃証言・記憶の変容・冤罪に心理学はどこまで迫れるか』(山本登志哉編著、北大路書房)
・記憶は可変であ、変容しうるもの
・記憶は、記憶を想起したそのときに作られる

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
怖い話ですな
mamo
2005/03/06 09:28

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